2014年3月17日月曜日

「囲炉裏端おやき」の学習会

今日は、楽しみに待っていた「囲炉裏端おやきの学習会」でした。

食育プログラムのひとつとして、学生たちが長野県内のシニアの皆さんから学ぶ場をつくりたいと考えてきました。

シニアの皆さんが営んできた食生活の中には、私たちが忘れてしまいつつある日本の文化としての暮しぶりや、その基盤にある考え方や知恵があると思います。

食生活に関わるプロフェッショナルをめざす学生たちには、そのエッセンスを感じとり、自分たち世代はそれをどのようにとらえればいいのか、それを伝えていく必要はあるのか、伝えていくとすれば何をすべきかを考えてほしいと思っています。
それは、私が学生たちにきちんと伝えることが難しい学習課題であると感じていますので、フィールドでの学びの場を設定したいと考えたのです。

昨年来、通学合宿でお世話になっている生坂村で、長野県の郷土食である「おやき」を、未だに囲炉裏を使ってつくっている方がいらっしゃると教えていただき、ぜひ伺いたいとお願いしていたのです。
くねくねした坂道を登り、めざすお家に到着!
遠くに犀川の流れが見えます。

今日はその願いが叶う日でした。

私のゼミの3年生と、4月から私のゼミに所属することが決まっている2年生に声をかけ、今日は5名の学生が参加しました。
3年生の中には臨地実習や就職活動でやむを得ず、参加できなかった学生もいました。

私は、長野―松本間の国道19号線を何百回も走ったと思いますが、生坂村で脇道を登った先の集落に行くのは初めてです。

この機会を調整してくださった生坂村の教育委員会の方には、「国道から見える家ですが、急な坂道を登るのです」と伺っていました。
その言葉の通り、くねくねとした急な坂道を登りました。

なんだか懐かしい感じがしました。 
私は小学校入学前まで、父の実家のある長野市の中山間地域で育ったので、子どもの頃の風景が浮かんできたからです。

お伺いした柳澤さんのお宅は広いお住まいで、以前は養蚕をしていたとおっしゃっていました。学生たちにとっては、こういうお住まいを訪ねるのは初めてのことでしょう。

柳澤さんはおやきの具として野沢菜漬を加工したもの―干瓢のように長く引いてつくった干し大根が入っていて、これがなんとも言えない食感とうまみを出していました―を用意して待っていてくださいました。

さっそく学習会のスタート。
粉を捏ね鉢にいれて、水を加えて捏ねていきます。

おやきを丸めるゼミ生たち
小柄な柳澤さんですが、手はたくましく、子どものころお世話になったやはり小柄だった伯母の手を思い出しました。
伯母の手もたくましく、たくさんの子どもを育て上げた手として私の記憶の中にあります。

捏ねあがったら、おやき一つ分ずつにちぎって・・・ここからは学生もチャレンジです。

柳澤さんに教えていただきながら、上手に包んでいます。
(でも、食べた時は一部分だけ皮が分厚くなっているおやきがありました。何十年もおやきを丸めてきた柳澤さんのようにはいきません。)
焙烙でおやきを「てらす」
囲炉裏の上の焙烙(ホウロク)で皮を焼いて(これを長野では「てらす」といいます)、ほどよく焼き目がついたところで、囲炉裏の灰の中にいれます・・・「灰焼きおやき」にするわけです。

「どのくらいの時間入れておくのですか?」とお聞きすると、「全体が丸く膨れてくれば大丈夫!」とのこと。

私たちが持参した地粉2kg分の生地を丸め終わると、柳澤さんがご自身のご実家からいただいたという手づくりの地粉をとりだして、また捏ねてくださいました。
焼き上がって食べ比べると、この粉の美味しさがわかりました。

柳澤さんが漬け込んでくださっていたお漬物をいただき、手づくりの福神漬に感動していたら、私たち一人一人にお土産としてくださいました。
申し訳なく思いながら、うれしくいただくことにしました。

柳澤さんのお宅の前で記念写真を撮って、お礼を申し上げてお別れし、急な坂道を下りました。
ゼミ生たちは、今回くることができなかったメンバーも含めて、またお邪魔したいと言っていました。
彼女たちがどんなことを感じたのか、またいつか報告させていただきます。

実は、信濃毎日新聞の記者さんも同行していたので、新聞記事になるとは思います。
乞うご期待!!

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